ステージ前終身雇用

この胸押し寄せる愛を感じたなら歌おう

担降りがなぜヲタクを悩ませるのか

最近ブームになっている担降りブログ。
ヲタクが1人減ろうが本人たちには痛くもかゆくもないだろうけど、する本人はとても真剣に悩む、人生の節目になりうる行為が担降りなのだ。
自担はアイデンティティだ。
ジャニヲタには誰担当かが自分のアイコンなのだ。
それを失う、変えることは大きな決断だ。
だから知らない人の担降りブログでもたくさんの熱量を感じられて心動かされる。

今日はそんな「担降り」について考えたい。
担当について考えた次の記事が担降りについて考える記事である。

あたしは担当を増やしていくタイプの人間だったため、「○○くんから△△くんに担降り」とかはしたことないし、自分の中のいちばんはずーっとしょさんで今のところきてる。
でも担降り経験がないこともない。
「降りる」というのが主に下の世代に担当を変えることを意味するのではなく、一緒の乗り物に乗って未来を目指していたけどその乗り物を降りる、ってかんじの意味合いの担降り。
あたしにとって自担の中にその人を入れなくなる、ということだった。


2013年9月19日に好きになった。
彼の誕生日の2日後。
はっきり覚えている。

そこからヲタクの行動力を発揮して彼のグループの音源化された曲をすべてウォークマンに入れ、出演番組をチェックし、写真集や雑誌や書籍などの文献を買い漁り、過去のコンDVDを見まくり、コンビニのくじで1等を当てたしコンチケも当てた。
そうやってどんどん彼と彼のグループのことを知っていった。
知らないで好きとか軽率に言えないあたしだったから。

そして知れば知るほど違和感を覚えた。

嵐を好きで生きてきたあたしには、比べるものじゃないとわかっていても、いろんなことが好きになれなかった。

コンの自己満足な演出。
ファンの前代未聞のマナーの悪さ。
グループで1人だけをいじって笑いに変えようとするMC。
あるメンバーの調子に乗っているとしか思えない発言や、別のメンバーの1つ1つの仕事に対するやる気や誠意のなさ。
事務所の売り方とそれによって作り上げられる人気。
グループ内格差とその埋め方。

好きな人のいるグループを、担当以外のメンバーを、好きになれないのは初めてだった。
だから「好き」ですべてに目をつぶった。
見ないふりをした。
彼のことは、彼の言葉や熱い野心や仕事への姿勢は好きだったから。

やがて限界が来て、違和感のほうが好きの気持ちよりも大きくなった。
その時反比例して好きが小さくなっていくのがわかった。
それに気づいたあたしはもう、目を背けていたものを直視せずにはいられなくなった。
そして完全に好きの気持ちは消えていった。
このグループを応援できない、応援したくないと思った。

オンリー担になれたらどんなにいいだろう。
彼のことが嫌いなわけじゃない、でもグループを好きになれないから降りるだなんて融通利かなすぎるし馬鹿みたいかもしれない。
でももう自分の気持ちに嘘をつけなかった。
オンリー担に向いてない人種だっているんだ。
2015年9月19日まで応援しようと決めたのは8月の終わりだったと思う。
好きだった人の30回目の誕生日を最後に祝いたかった。
1ヶ月ほど落ち着いて考えて、それでも降りるって思うなら降りようと思った。

そこからのあたしの冷めっぷりには母も驚いていた。
「まあでも、コンでもっと好きになって帰ってくると思ってたけど、スマコンの時のほうが好きにさせられてたもんね完全に」と言われた。
確かに、コンの直後でさえもう1回入りたいと1回も言わなかったなあ。(スマはあと3回入りたかった)
あの時からこの日が来ることがわかってたのかもしれないなあ。
別れを前提に好きになるわけじゃないけど、終わりが来ることもあるんだ。
担当にするほど好きになった人を好きじゃなくなることが初めてだったので少し戸惑った。


9月19日が来た。
担当になって2周年、まだまだひよっ子だったけれど。
もう降りることしか頭になかったしなんならせいせいする!としか思ってなかった。
コンに連れていってくれて、いつかあたしがチケ取って恩返しするね!と約束してた友達に言うのだけが心苦しかった。

ドラマで見たことある「いったんわたしたち距離を置きましょう」ってやつ。

あれ絶対「別れましょう」と同義だ。

距離置いてまた好きになるわけなかった。

あたしの心は急速冷凍したみたいに一瞬で冷めた。
彼のグループへの熱量を表したグラフの傾きが-20ぐらいだった。
そんな自分にちょっと引くほどだった。
「人間として大事なものが欠落してるんじゃないか・・・」と思った。

好きになり始めた時は確かに楽しかった。
新しいときめきや、恋の始まりのフットワークの軽さはあの瞬間しか味わえない。
家族じゃなく友達と遠征したのも初めてだったから楽しかった。
思い出として大事にしたいものであることに間違いはなかった。

でももう想いはなかった。

そうやって担降りした今、なんならあのグループが事務所でいちばんどうでもいいし応援できないと思ってる自分にまた引いた。
あの2年間は幻だったのかと疑ってしまう。

そして担降り(と呼んでいいかは疑問だが)を経て、いっそう自担をずっと好きでいられることって当たり前なんかじゃなくて、今日はこの人が好きって思えるのを毎日続ける奇跡っていうことなのかなあと思った。
変わらないものなんてないし、絶対担降りしないかどうかなんてわからない。
だからこそ今一生懸命愛したい。
そんなふうに感じた。


担降りブログにするつもりではなかったのだがほぼ担降りブログになってしまったしなんなら担降りでもないしごめんなさい。

冒頭に書いたとおり、担降りぐらいでこんなに悩むのってジャニヲタぐらいなんじゃないだろうかと思うほどみんな担降りに悩む。
それは、長い間大事にしてきたアイデンティティを失うことや、築き上げてきた友達との関係が崩れることを恐れるからではないかと思う。
そして、一般的な担降りは自担の他に好きな人ができることを意味するが、ずっと好きでたくさんのことを知っている人に別れを告げて、まだよく知らない彼についていく不安もきっとあると思う。
その恐怖を乗り越えてでもこの人をあたしのいちばんだと胸を張って言いたい!という気持ちが勝った時に、たぶん人は担降りする。
それがよくわかる記事がこちら。aaaaa0622.hatenablog.com
これぞ伊野尾革命の典型的な例である。
もうひとつ、あたしが初めて読んだ担降りブログはたぶんこれ。etudeof.hatenablog.com
これを読んでからあたしの趣味は担降りブログを読むことになったぐらい好きな記事。
まるであたしが担降りしたかと思うほどリアルに感情移入してしまった。

そしてこちらがご存じの方も多いだろう、担降りアンケート。moarh.hatenablog.jp
moarh.hatenablog.jp
伊野尾革命を如実に感じられるし、「きてぃすごいやん!まあ紫耀もすごいけどな!」という廉の声が聞こえてきそうなJr.界隈も興味深いアンケート結果である。
あと、山田担になる人の元担がわかりやすすぎる。
「ですよね」みたいな。


もし、あなたが今まさに担降りに悩んでいるなら。
悩んでる時点でもう本当は降りるって決めてるけど自分の気持ちに気づかないふりをしてるだけ。
新しい自分になる一歩を踏み出す勇気を持てれば、きっと今本当に好きな彼はあなたを後悔させません。
友達もきっと「○○担のあなた」じゃなくて、あなた自身のことを友達だと思ってくれています。
あたしも
「大切なことを言ってくれてありがとう」
「担当関係なくずっと友達だよ」
「ってか気づいてたよ」
と友達に言ってもらえて、言おうかどうか一瞬でも迷った自分を恥じました。
自分の気持ちに素直になって、楽しくジャニヲタしませんか?
これを読んだ担降りしたい人の背中をちょっとでも押せたら幸せです。


これからもずっと、自担を「あたしの担当です」って言えますように。